MENU

吉田美奈子×森俊之

OFFICIAL HP

■吉田美奈子

1969年、交流を持った細野晴臣や松本隆等の勧めで、楽曲制作を始める。 

間もなくシンガー・ソング・ライターとして、ライヴ中心の音楽活動を開始。

1973年20歳の時、キャラメルママの全面的なサポートによるアルバム「扉の冬」で本格的なデビューをする。

後、CM音楽制作(1985年・第33回「カンヌ国際広告映画祭」銀賞受賞)、他の歌手へ詩や楽曲の提供(現在までに130曲を越える)、プロデュース、アレンジを含む一人多重録音のバック・ボーカル歌唱でスタジオ・ワーク、その他コンサート・サポートも行う。

2015年1月現在、オリジナル・アルバム20作品 (内1作品は、新譜をDVDでリリース。ライヴ、ベスト、シングル、企画盤は除く)、コラボ・アルバム3作品、ライヴ収録DVD等を4作品リリースしている。

 

ジャンルを取り払った自由自在な音楽活動は、クオリティーを保ちながらも個性を発揮するミュージシャンとして 多方面から共演を熱望され、常に高い評価を得ている。

 

■森俊之

3歳でピアノを、6歳で電子オルガンを始める。

幼少の頃にクラシック、ジャズ、ロック、ソウル、ファンク、映画音楽などを聴いて育つ。当時知らないで聴いていたビートルズ、バートバカラックやミッシェルルグラン、クインシージョーンズやハービーハンコックなどが後々になってそれだとわかり、自身ショックを受けるほど60年代後半〜70年代〜80年代の音楽をリアルタイムで体験する。

 

大阪府大東市立住道中学校入学。現在活躍中のドラマー山下政人氏と同じクラスになり、その後の自分の人生を変えるほどの出会いを経験する。彼と共に即座にバンドを結成。当時はギターを演奏するが、その後幼少の頃から精通しているキーボードに本格的に取り組むこととなる。この頃最も衝撃を受けたアーティストは、Y.M.Oとクラフトワーク、E.W&Fそしてマイケルジャクソン、そしてStuff。

 

私立清風高校入学。本格的に作曲編曲及び管弦楽法などの音楽理論を学び、同時に様々なバンドでセッションをくり返す。この時期は、テクノやエレクトロもの、ジャズ・フュージョンや当時のブラック・アメリカン、ブリティッシュ産ニューウェイブなど転倒する。同時に、ドビュッシーやラヴェルなどのフランス近代作曲家達のオーケストレーション、作曲技法に没頭。

 

私立京都産業大学経営学部入学。プロフェッショナルとしてキャリアをスタートさせる。関西のTVやラジオの音楽の制作、関西ローカルのCM音楽などの制作をするようになる。キーボーディスト及び作編曲家として、関西の音楽シーンで頭角を現す。同時期に、平松愛理、山下政人、古川昌義ら共に結成した「ERI and WONDERLAST」でのライブハウス出演の機会が増え、そのまま卒業後に上京することとなる。上京後も関西ミュージックシーンとの繋がりを保ちつつ(Kaja and Jammin'、AUDIO SPORTS「恩田アキ、竹村延和、山塚アイ、ZAKらで構成されるアシッドジャズユニット」にキーボードプレイヤーとして参加、世界的DJ竹村延和 1st Albumのコ・プロデュースなど)、東京シーンでのバンド活動、GROUPO CHEVERE(オルケスタデルソル、オルケスタデラルスなどの主要メンバーで構成されるサルサバンド)への参加など、ノージャンル自由奔放に活動をしながら、自身あらゆるジャンルのアーティスト達のサウンドプロデュース、アレンジ、コンポーズ、キーボードプレイ等を手掛けるようになる。

 

2001年、佐藤タイジ率いるTHE SUN PAULOに、ドラムの沼澤尚と共に加入。以降オリジナルアルバム3枚、ライブアルバム1枚、リミックスアルバム1枚をリリース。フジロックフェスティバル、ライジングサンを筆頭に全国のフェスを圧巻する。2007年、イギリスのインディペンデント・レーベル「Malicious Damage」からアルバム「PeopleGet Ready」リリース。欧州デビューを飾る。2009年、初の全国ツアー。ツアーファイナル、奄美大島での皆既日食イベントで好評を博する。

 

活動は、ジャンルを超えて多岐に渡る。ロック、ジャズ、ファンク、R&B、ソウル、レゲエ、テクノ、エレクトロ、ハウス、ブラジル、ポップ、フルオーケストラ・スコアライティング... あらゆるジャンルにおいて、その個性豊かな才能を発揮。サウンドメイキングからキーボードプレイにおけるまで、卓越した感性、個性そしてその手法には定評がある。

 

現在は、THE SUN PAULOのキーボーディスト & トラックメイカーとして活躍するかたわら、沼澤尚(Dr.=blues.the-butcher)、勝井祐二(Vln.=ROVO)らとのジャム・セッションを積極的に行い、そしてあらゆるアーティストのサウンドに色づけする貴重な存在として活躍中である。